「記された神のみ言葉」

 「主のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである。」(詩篇12:6)

 わたしたちは不確かなことに信頼する必要はない。わたしたちは父祖たちからよりはむしろ、神の御言からこのお方のことを学ぶ。神を知ること、これは永遠の命である。聖書が神の雲感を受けた言葉であることはなんと感謝なことであろうかご昔の聖なる人々は御雲に動かされたときこの御言を書いた。神はご自分の御言を人間の記憶の中に保存し、口述の伝達や言い伝えによる公表で、各世代に伝えようとはなさらなかった。 もし神がこうなさったなら、御言は徐々に人間によって付け加えられていたであろう。わたしたちは雲感によらないものを受け入れるようにと要求されていることであろう。記された神の御言葉のゆえにこのお方に感謝しよう。
 御言について書かれた注解書はすべてが一致しているわけではない。それらはしばしばお互いに対立する。神はわたしたちがそれらに導かれるようにとは仰せにならない。わたしたちが扱わなければならないのは神の御言である。すべての者はこの御言を自分自身のために探ることができる。そしてこの尊い書の教えが不変のものであることを知ることができる。人間の意見はそれぞれ異なるが、聖書は常に同じことを言う。神の御言は永遠から永遠に至る。
 聖書は牧師や教育のある人々のためにだけ与えられたのではない。あらゆる男女、子供が彼自身、あるいは彼女自身のために聖書を読まなければならない。あなたのために聖書を読むのを牧師に頼ってはならない。聖書はあなたのための神のみ言葉である。貧しい者は金持ちと同じだけ聖書を必要としてお
り、教育のない者は教育のあるものと同じだけそれを必要としている。そしてキリストはこの御言を非常に分かりやすくしておられるので、だれもつまづく必要はない。粗末な家に住むものは世が今までに知っている最も賢明な教師、王、統治者、政治家、世で最高の教育を受けた者もこのお方より偉大ではないお方によって書かれた御言を読み、理解しよう。
 探るとは失われている何かを勤勉に探すことを意味する。隠れた宝を自分で探しなさい。この働きを牧師に任せてはならない。あなたは神の御言に無知である余裕はない。(上を仰いで52)

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