「物と質的な財産」

 「イエスは彼〔その金持ちの青年〕に日をとめ、いつくしんで言われた、『あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい。すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである』。」(マルコ10:21、22)

 〔その金持ちの青年〕にとって富は、名誉であり、力であった。だから彼の財産が莫大であったがゆえに、それを捨てるというのはほとんど不可能であるように思えた。
 世を愛していたこの人は、天国を望んでいた。しかし、彼は自分の財産を持ち続けることを望み、金と力を愛するがゆえに永遠の命を放棄した。ああ、なんと悲惨な交換であろうか。しかしながら神の戒めをすべて守っていると公言する多くの者が同じことをしている。
 金銭に執着する人にとって、ここに富の危険がある。富が増すにつれ、その人にとって気前よくふるまうことが難しくなる。自分の富を減らすことは自分の命を減らすことのように思えるのである。だから彼は地上の財産を持ち続け、それを増やすために、不死という報酬の魅力に背を向ける。彼が戒めを守り続けていたなら、彼の世的な財産はそれほど多くはなかったはずであった。自分自身のために陰謀をたくらみ骨折っている間、彼はどのようにして心をつくし、思いをつくし、力をつくして神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することができるであろうか。貧しい者の困窮が要求するとき、彼がその必要に応えていたなら、もっと幸福であり、天に宝をはるかに多く蓄え、地上の宝に愛情を注ぐことがはるかに少なかったことであろうに。
 キリストはわたしたち一人びとりに財産および感化力というタラントを委ねておられるので、ご自分の僕と清算をするために来られるとき、すべての者は自分に委ねられたタラントの用途について最も厳密な報告をするようにと命じられる。兄弟姉妹方、貴方はどのようにその調査に耐えるのであろうか。あなたは主人であるお方の前に元金と利子を置き、自分がこのお方の奉仕に忠実で辛抱強いだけでなく思慮深い働き人であることを示しつつ、このお方のタラントを倍にしてお返しする用意ができているであろうか。(レビュー・アンド・ヘラルド1885年6月23日)

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