「健全な思いという賜物」

  「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」(テモテ第二I:7)
 
 人は華々しい知性を持ち、天賦の才能で金持ちになることができる。しかしこれらはすべて神、彼の造り主に与えられたものである。神は理性という賜物を取り去ることができ、人は一瞬に野の獣の段階にまで落ちたネブカデネザルと同じになる。(セレクテッド・メッセージ1巻298)
 愛するヘンリーヘ。わたしは恵まれていない子供、すなわち思慮のない子供のすることを目にするたびに心に痛みを覚えてきた。彼の肌はきれいで、目鼻立ちは整っているが、彼には知性がない。愛するヘンリー、わたしの愛する息子たちが知性において祝福されていることを、わたしはどれほど主に感謝していることか!わたしのヘンリー、たとえ家一杯の金貨があっても、わたしはあなたがあの哀れな少年のようであって欲しくはない。あなたは主が申し分のない健康と理性をもってあなたを祝福してくださっていることに、どれほど感謝をしなければならないことか。
 もしあなたが高潔で雄々しい進路を取ってさえいるなら、それだけでわたしたちはうれしく思う。わたしたちの愛する子供たちは、わたしたちにとって尊い宝石である。わたしたちはあなたが生まれるとすぐあなたを神にお捧げした。あなたの気質が和らげられるようにとあなたのごく小さいときからあなたのために熱心に祈った。愛するヘンリー、あなたがわたしたちのうでの中で人事不省であったとき、わたしたちは泣いた。あなたに正しい霊を入れてくださるようにと、主ご自身の檻に導いてくださるようにと、わたしたちは嘆願した。そして今わたしたちの最も大きな不安はあなたのことである。わたしたちはあなたを愛しており、あなたが救われるようにと願っている。あなたの品行が義務という意識で支配された正しいものであるように、また強いられてではなく、そうしたいから正しいことを行なう、あなた自身の決心、原則をあなたが持つようにと願っている。なぜなら正しいことを行なうには苦痛も自責の念も良心の咎めもなく、正しいことを行なっているという喜びを与える意識があるからである。
 愛するヘンリー、あなた自身の過ちに気付きなさい。……これが正しいことか、悪に導いているのではないか、不忠実に導いているのではないか、欺き、あるいは偽りに導いているのではないか、自分はこれをした後で以前と同じように幸せに感じるだろうかと自分自身に問いなさい。

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