「理性の力」

 「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」(イザヤI:18)

 神が地上に造られたすべての被造物のうちで人だけが反抗的である。けれども人は聖なる律法の要求を理解する理解力を所有しており、違反することへの罪悪感を感じる良心があり、服従の平安と喜びを感じる良心もある。神は人を従うか従わないか道徳的に自由に造られた。永遠の命という報いすなわち永遠の重い栄光は神のみ胸を行う人々に約束されている。その一方でこのお方の律法に公然と反対するすべての者には、差し迫った神の怒りが及ぶ。
 神は人に与えておられる知性を彼らが用いることを望んでおられる。ご自分のために彼らがあらゆる理性の力を用いるようにと望んでおられる。良心は、指定された最高の地位につくべきである。(レビュー・アンド・ヘラルド1900年11月6日)
 神の統治は、サタンがあらわそうとするような盲目的な服従、道理の合わない支配ではない。それは知性のある者、良心のある者への訴えである。「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう」は、創造主から造られた者への招待である(イザヤ1:18)。神は被造物の意志を強制なさることはない。このお方は喜んで理性的に捧げない尊敬をお受けになることはできない。単なる強制された服従は思いや品性の真の発達をすべて妨げ、人を単なる機械的に行動する者とする。そのようなことは創造主のご目的ではない。ご自分の創造の力における最高傑作である人間が、最高度にまで発達を遂げることをこのお方は望んでおられる。ご自分の恵みによってわたしたちにもたらそうとする祝福の最高点をわたしたちのまえに置かれる。このお方はご自分にわたしたち自身を捧げるようにとお勧めになるが、それはわたしたちの内にご自分の意志を働かすことができるためである。罪の奴隷から自由になることを選び、神の子としての栄光ある自由を分かちあうことが、わたしたちには残されている。(キリストへの道54、55)


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