「救い主の賜物」

  「彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。」(マタイI:21)

 わたしたちもニコデモのように、自分の生活は正しくて道徳的にもまちがっていないとうぬぼれ、ふつうの罪人のように、神の前にへりくだる必要がないと考えているかも知れないが、ひとたびキリストの光が心の中にさしこむとき、自分たちがどんなに汚れているかがわかるのである。またなにをするにも自分の利益ばかり考え、神に逆らい、日常のあらゆる行動が汚れていたことを悟るのである。そしてわたしたちの義は汚れた衣のようであって、キリストの血のみが罪の汚れより清め、かれのみ姿にかたどって、わたしたちの心を新たにすることを知るのである。(キリストヘの道32)
 人の心から悪の支配力を断ち切ることができるのはただひとつの力だけであり、それはイエス・キリストの内にある神の力である。十字架に掛かられたお方の血を通してのみ罪からの清めがある。このお方の恵みだけがわたしたちの堕落した性質に、わたしたちが抵抗し、打ち勝つことができるようにする。(教会への証8巻291)
 心の貧しさを深く感じ、自分のうちに何もよいものがないと感じるすべての者は、イエスを見上げることによって義と力を見出すことができる。……わたしたちは神の愛を受けるにふさわしくない。しかしわたしたちの保証人であるキリストはそれにふさわしく、また彼に来るすべての者を豊かに救うことがおできになるのである。あなたの過去の経験がどうあろうと、また、現在の状況はどんなに落胆させるものであっても、弱く、力なく、気落ちしたままでイエスに来るならば、わたしたちのあわれみ深い救い主は、遠くからあなたを迎え、その愛のみ腕をあなたにのばし、その義の衣をあなたに着せられる。イエスはご自身の品性の白い衣をわたしたちに着せて、父なる神に紹介される。イエスは父のみまえでわたしたちのために嘆願される。そしてわたしはすでに罪人の代わりになりました、このわがままな子をごらんにならないで、わたしを見てくださいといわれる。もしサタンがわたしたちの罪を責め、わたしたちを彼の餌食であると主張して、大声で訴えても、キリストの血はより大きな力をもって嘆願するのである。(祝福の山10、11)



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