「何という友」

 「世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。」(蔵言18:24)

〔イエス〕はわれらのとがを負われた。キリストはわれらの肩から荷をとって休ませてくださる。また心労や悲しみの荷も負ってくださる。キリストは、すべての思いわずらいをまかせるように招いておられる。彼はそのみ胸にわたしたちを抱いてくださるのである。
 人類の長兄キリストは、永遠のみくらのそばに立って、救い主として彼を見あげるすべての人間をごらんになる。彼は、「罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである」(ヘブル4:15)。だから、彼は人間の弱さも、わたしたちの要求も、またわたしたちの誘惑の力がどこにあるかも、体験によって知っておられるのである。恐れおののく神の子よ、キリストはあなたを見守っておられる。あなたが誘惑を受けておられるのならば、キリストはあなたを救ってくださる。あなたが弱ければ、強くしてくださる。無知であれば、知識を与えてくださる。傷つけられたならば、彼はいやしてくださる。エホバは「もろもろの星の数を定め」しかも「心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる」(詩篇147:4、3)。どんな心配ごとや試練があつても、その問題を神の前にうち明けなさい。あなたの精神は忍耐力をもって強められる。困惑や困難からぬけ出る道が、あなたのために開かれる。自分が弱く、力のないことを知れば知るほど、キリストの力によって、もっと強くなるのである。荷が重ければ重いだけ、荷を負ってくださるお方にこれをまかせて休むことがうれしいのである。
 境遇は友と別れさせ、広い海の不安な水がその間に波うつかも知れないが、どんな事情も距離も、わたしたちを救い主から離すことができない。どこにいても、キリストはわたしたちの右に立ち、わたしたちをささえ保ち、擁護し、はげましてくださる。ご自分があがなわれた者に対するキリストの愛は、母が子を愛する愛にもまさって大きい。「彼はわがためにその命を与えたまいしにより、われは彼により頼まん」と言つて、その御愛に安んずることはわたしたちの特権である。
 人間の愛は変るかもしれないが、キリストの愛は変ることを知らない。助けを求めてキリストを呼ぶならば、そのみ手はわたしたちを救うために伸ばされる。(ミニストリー・オブ・ヒーリング46、47)


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