「霊的支え」

 「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」(詩篇55:22)
 キリストが野の花から学べといわれた教訓を忘れているクリスチャンが多い。彼らは、キリストの変わらぬご保護にたよらない。キリストは、人びとが重荷をキリストにゆだねないために、その重荷を負うことがおできにならない。世のわずらいというのは、救い主に援助と慰めを求めるようにすべきものであるにもかかわらず、かえって、人びとをキリストから引き離しているのである。(キリストの実物教訓28)
 自分の正体を悟るように導くのは、試練である。自分の本当の品性をかいま見させ、良い特性を養う必要を示すのは、誘惑の時である。神の祝福を信頼するクリスチャンはどこにいても安全である。都会にいても彼は堕落しない。会計課にいても彼は厳格な正直の習慣で目立つ。手仕事の店で彼の働きのどの部分も誠実に成し遂げ、神の栄光だけに目を留める。(預言の霊4巻285)
 あなたの重荷を他人に負わせることにより自分が息抜きができると考えてはならない。重荷を負ってくださるお方のところへすぐに行き、そのことを申し上げなさい。このお方はあなたの場合の状況に対応することができ、またそうしたいと思っておられることを信じなさい。あなたが悔吾の念を持って十字架の足元に来るとき、十字架につけられ、よみがえられた救い主の功績に信頼するとき、あなたはこのお方を通して力を受ける。あなたの無力な魂をまかせるとき、このお方はあなたに平安、喜び、力、勇気をお与えになる。そのときあなたはキリストがあなたにとってどれほど尊いお方であるかを他の人々に語ることができる。「わたしはこのお方を探して、このお方がわたしの魂にとって尊いお方であることを発見しました」ということができる。…キリストの柔和とへりくだりを学ぶ人々は、またこのお方が愛したように互いに愛することを学ぶ。彼らは他の人々を批判し責めることを拒む境地へ到達する。他のだれも彼らのためにすることのできない働き、すなわちキリストに学ぶという働きが自分に委ねられていることを学ぶ。わたしたちが自分をそのみ手に委ねるとき、このお方はわたしたちの前に可能性と見込みを示し、誤っている人間よりも無限にたかいお方に助けを求めて行くようにとお命じになる。(上を仰いで359)

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