「主のみ言葉を守り、祝福を刈り取れ!」

 「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。……助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」(ヨハネ14:23、26)
 従順はキリストのみ言葉を行なうことである。神のみ言葉は生ける神との交わりの手段である。み言葉を食する者は良い働きすべてに実り多い者となる。神の共労者は、真理の豊かな鉱脈の発見者となり、彼は隠れた宝を見つけるためにその鉱脈を探らなければならない。誘惑に囲まれたとき、聖霊はまさにその誘惑に対処すべきみ言葉を、最も必要なその瞬間に思い起こさせてくださる。そして彼は従わせる力を持ってそれらを効果的に用いることができる。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1895年9月5日)
 キリストはわたしたちがどのように祈るべきか指示しておられる。わたしたちは聖霊の賜物を天父に求め、子供のような単純さで御父のところへ来なければならない。イエスは再び「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」と仰せになる。あなたは自分の罪を悔い改め告白し、あらゆる罪と汚れに染まった魂を空にして、御父のところへ来るべきである。そして主の約束を証するのはあなたの特権である。あなたは自分の気質にふけり、自分の方法をとりながら、神の子であり続けることはできない。わたしたちは自分の遺伝的傾向と苦闘しなければならないが、それは誘惑に屈せず、挑発のもとで腹を立てないようになることができるためである。わたしは日々、わたしを困らせ、当惑させ、いらいらさせる事柄、すなわち、もしわたしが許すなら、わたしの平安を台無しにするような事柄と闘わなければならない。しかし、わたしは誘惑に屈したりはしない。わたしは永遠の岩なるお方にわたしの魂を固定している。そしてサタンがわたしを困惑と悩みの状態のままにすることができないように、キリストがあらゆる点においてわたしの助けでなければならない。イエスは「わたしの平安をあなたがたに与える」と仰せになった。わたしたちが信仰によってキリストの平安を求めるなら、それを得る。イエスは「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう」と仰せになる(ヨハネ14:27、16:24)。(レビュー・アンド・ヘラルド1892年10月11日)

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