「賜物を求めよ、条件に従え」

  「神の戒めを守る人は、神におり、神もまたその人にいます。そして、神がわたしたちのうちにいますことは、神がわたしたちに賜わった御霊によって知るのである。」(ヨハネ第-3:24)

 わたしたちの間の真の信心のリバイバルこそ、わたしたちのあらゆる必要の中でも最も大きくかつ最も急を要する。これを求めることが、わたしたちの第一の働きでなくてはならない。主の祝福を得るために熱心に努力しなければならないが、それは神がご自分の祝福をわたしたちに与えたくないからではなく、それを受ける準備がわたしたちにできていないからである。わたしたちの天父は、地上の両親が自分の子供によい贈り物を与える以上に、ご自分に求める者に聖霊を与えたいと思っておられる。しかし、告白とへりくだり、悔い改めと熱心な祈りによって、神がご自分の祝福をわたしたちに与えると約束なさった条件を満たすのは、わたしたちの働きである。(セレクテッド・メッセージ1巻121)
 イエスは「わたしに従ってきなさい」、「わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」(ヨハネ8:12)と仰せになる。それを困難な義務だと考えてはならない。神の戒めは、人があらゆる悪から守られるようにと、思慮深い計画の中で愛の心があふれでる神のご品性の表れである。その戒めは人に対して気ままな権威を行使するためではなく、主が人に、ご自分の従順な子ら、すなわちご自分の家族の一員として行動してほしいと望まれるからである。従順はキリストおよび御父とひとつであることの当然の結果であり、実である。……
 わたしたちが間違いなくイエスのみ声に聞き従うとき、あらゆる不満の思いは抑制され、戒めをお与えになったお方にすべての結果を委ねる。わたしたちがイエスのみ足跡を見るとき、それに踏み従うなら、わたしたちは愛と力を得る。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1893年4月17日)
 わたしたちは見張り、祈り、神の愛の内に自分の魂を保つべきである。それは、わたしたちがこのお方に心からの服従をお捧げできるためである。わたしたちは聖書を探ることによって受ける光のあらゆる光線を大切にすべきである。聖霊は、神の祝福を心から熱心に求めている者の心に働きかけ、彼が誘惑に抵抗できるようにしてくださる。(ユース・インストラクター1893年8月17日)

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