「霊的食物」

  「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。」(ヨハネ6:63)

 聖霊を受け入れることに関してわたしたちの側で間違いを犯す危険がある。多くの者は感情や気分の高揚が聖霊の臨在の証拠であると思っている。正しい感覚が理解さず、「あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ」とのキリストの言葉がその意義を失う危険性がある(マタイ28:20)。新奇な考案や迷信的な想像が聖書に取って代わる危険性がある。「御言の中に示されていない何かを持ち込もうと切望しないで、キリストに密着していなさい」と民に言いなさい。(セレクテッド・メッセージ2巻18)
 わたしたちが神の御子の肉を食べ、血を飲むのは、キリストのみ言葉を食することによってである。このお方のみ言葉への服従によって、ちょうどわたしたちが自分の食べる食物でできているのと同様に、わたしたちは神性にあずかる者となるのである。神の御子の肉を食べ、血を飲む人々は、霊的命においてキリストと一つになる。だれ一人として、人の食べた食物によって栄養を受けることはできない。人は自分で食べなければならないのである。(家庭伝道1897年6月1日)
 すべての世界を出現させた創造のエネルギーは、神のみ言葉のうちにある。神のみ言葉は能力を与え、生命を生ぜしめる。神のご命令の一つ一つは約束であって、意志がこれに同意し、魂がこれを受け入れるときに、そこには同時に限りない神の生命がもたらされる。それは人の性質を一変させ、魂を神のみかたちにする。
 このようにして与えられた生命は、また同じようにして維持される。人は、「神の口から出る一つ一つの言」によって生きなければならない。
 心と魂はかてによって築かれる。どんなかてをとるかを決定するのは、われわれ自身の責任である。われわれの思いを占め、品性を形造る話題の選択は、各人の能力の中にある。(教育135、136)


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