「精神的および道徳的活力」

 「心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。 従順な子供として、」(ペテロ第一l:13、14)

 よこしまな者は絶えず神を誤り伝え、許されていないことに思いを引きつける機会をうかがっている。できることなら、思いを世の事柄にしっかり固定させようとする。感情を興奮させ、情欲を起こし、あなたの益にならないことに愛情を固定させようとする。しかし、あらゆる感情、情欲を抑制し、理性と良心に静かに従わせるのは、あなたのなすべきことである。そのときサタンは思いを支配する力を失う。キリストがわたしたちに命じておられる働きは、わたしたちの品性の中にある霊的な悪に対して勝利を進行させていく働きである。生来の傾向が克服され、生来の気質がキリストの恵みによって変えられねばならない。食欲と情欲を克服し、意志をキリストの側にまったく置かなければならない。もし心が神の御霊の感化を受け入れるために開かれているなら、これは痛みを伴う工程ではない。(レビュー・アンド・ヘラルド1892年6月14日)
 人々は違反によって堕落したけれども、キリストから道徳力を受けて忠誠に立ち返ることができる。彼らは主の代理者として聖霊を受けることができる。もし彼らが御霊の証を信じ、純潔と聖潔の道に従いつつ福音の要求に服従するなら、「主はあしたの光のように必ず現れいで」ることを知る(ホセヤ6:3)。(サインズ・オブ・ザ・タイムズ1895年10月3日)
 わたしの罪が刺し通したお方を見上げるとき、上からの霊感がわたしの上に下る。そしてこの霊感は聖霊を通してあなたがた一人びとりにも下るのである。聖霊を受け入れないかぎり、あなたは魂の内に神の愛を持つことはできない。しかし、キリストとの生きたつながりを通して、わたしたちは愛と熱意と熱心さを吹き込まれる。わたしたちは太陽の光を反射することはできても、命を吹き込んでもらうことはできない大理石の塊のようなものではない。わたしたちは義の太陽の輝く光線に反応することができる。なぜなら、キリストがわたしたちの魂を照らすとき、このお方が光と命をお与えになるからである。(レビュー・アンド・ヘラルド1892年9月27日)

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