「打たれた岩」

  「『見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる。』モーセイスラエルの長老達の目の前で、そのように行った。」(出エジプト17:6)

 荒野におけるイスラエル人のかわきをいやした泉の水は、まず最初にホレブの打たれた岩から流れ出た。彼らが放浪していた全期間を通じて、必要な場合はどんなところでも神のあわれみ深い奇跡が行われて、水が供給された。・‥
 清水をイスラエルのために流れ出させたのはキリストがご自分のみ言葉によってなさったのである。「彼らについてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない」(第一コリント10:4)。彼は霊的祝福と同様にすべての物質的祝福の源であった。真の岩なるキリストは、彼らの放浪期間を通じて、彼らと共におられたのである。「主が彼らを導いて、砂漠を通らせられた時、彼らは、かわいたことがなかった。主は彼らのために岩から水を流れさせ」「かわいた地に川のように流れた」(イザヤ48:21,詩篇105:41)。
 打たれた岩はキリストの型で、この象徴によって最も尊い霊的真理が教えられた。打たれた岩から生命を与える水が流れ出たように、「神にたたかれ」「とがのために傷つけられ」「われわれの不義のために砕かれた」(イザヤ53:4,5)キリストから、失われた人類のための救いの川が流れ出たのである。岩が一度打たれたように、キリストも「多くの人の罪を負うために、一度ご自身をささげられた」のであった(ヘブル9:28)。私達の救い主は二度と犠牲になられるべきではなかった。キリストの恵みの祝福を求める者は悔い改めて、主のみ名によって、心の願いを述べるだけでよいのである。こうした祈りは、イエスのみ傷を万軍の主のみ前にもたらし、新たにもう一度生命を与える血潮を流れさせるのである。
 かわききった荒野に湧き出た…新鮮な水はキリストだけが与え得る神の恵みの象徴である。これは命の水のように魂をきよめ、生きかえらせ、力づける。キリストが内住しておられる者のうちには、つきない恵みと力の泉がある。(人類のあけぼの下巻p8,9)

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