46「生命の書」


 生命の書は天の大いなる記録の一つであって、これには神に仕えた全ての者の名が記されてある。勝利者である事によってのみその名を生命の書に残しておく事ができるのであって、もし未だ我らがその罪の記録の書より消去されていないのなら、ついに我らの名は生命の書より消し去られてしまうのである。(使徒行伝3:19)しかし生命の書にその名の記された者は天の限りない国の民となるのである。またこの書は神の家族の名を記録したものであって、世継と勝利者並びに王の明細な記録である。やがて全人類の恩恵時代は閉じられるであろうが、その厳粛な恩恵時代の終局後には、もはやその記録を変更することは出来ないのである。それのみか、その名が生命の書より消し去られた者は火の池の中に名が入れられ、第二の死、すなわち永遠の死を受けるのである。(黙示録20:12,15、出エジプト記32:32,33)世には生ける名もあり、実は死ぬ者がある。しかし生命の書にその名の記されている者は品性も生涯も真に聖いものである。
 勝利者の名は生命の書から消し去られないばかりでなく、キリストはその名を天において表明されるのである。キリストは彼の血によって贖われた人々の名を「父とそのみ使いの前で・・・言い表」されるのである。地上において怖れなく公然とキリストを知るという者に対しては、キリストもまた「天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう」と言われている(マタイ10:32,33)。このように言われる者の幸福と名誉はいかに大いなるものであろうか。人々は功労者に授与される位階勲章や花輪などを尊重するが、キリストは彼の贖罪の犠牲を信じる者には、それにも勝った不朽の報償を授けられるのである。しかしこれに反して「生きているというのは名だけで、実は死んでいる」者に対しては、「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」と言われるに違いない。が、一方、新たに生まれて永遠の泉なるイエス・キリストの与えられる生命の水を飲む者に対しては、「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい」とキリストは言われるのである。この何れに属すべきかを決定するのは我らのなすべき責任である。
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