74「四つの著しい角」

 「こうして、その雄やぎは、はなはだしく高ぶったが、その盛んになった時、あの大きな角が折れて、その代りに四つの著しい角が生じ、天の四方に向かった。」ダニエル8:8


 征服者は被征服者よりも強い。雄羊メド・ペルシャは滅び、雄山羊すなわちギリシャは大いに盛んになった。そして彼(ギリシャ)のはなはだ盛んな時にこの大いなる角は折れた。人間が予想したのであるならば、彼の弱い時、すなわちその国に反逆が起きるとか、あるいはその国民が奢侈(しゃし)懶惰(らんだ)(贅沢と怠惰)に流れるとかした場合には、その角は折れ、その国は滅びるであろうと預言したであろう。しかしその角が出来たばかりの全盛時代、すなわちこれを見る者はだれであってもその国を転覆させえるものはないと絶叫するであろう時に、ダニエルはその角の折れるのを見た。そのように悪人の運命もしばしばそうである。彼らの勢力は彼らが最も安全であると思っている時すでに危機に瀕しているのである。
 アレキサンダー大帝はその壮年時代に倒れたが、(2:39参照)その必然の成り行きとして彼の死後、後継者問題で将軍たちの間に争いが起きた。そしてついに7日の後にアレキサンダーの異母兄弟にあたる病弱なフィリップ・アリデウス践祚(せんそ)(皇位を継承すること)することになった。そしてフィリップおよびアレキサンダー大帝の死後生まれた幼児アレキサンダー2世によって、とにかくマケドニヤ帝国の名称と外観だけはしばらく保たれていた。しかし彼らは間もなく共に暗殺されて、アレキサンダー大帝の家系は絶えてしまった。また一方当時各州の知事として派遣されていた名将軍が約20名いたが、彼らは各々皇帝の称号を付与し、互いに交戦を事としていた。それらの戦いの中、最も激烈であった天下分け目の戦いは、紀元前301年小アジアのイプススにおけるものであった。実にこれは古代史において最も有名な戦いの一つである。なぜならばこれにより、ギリシャがローマの権力に圧倒されるまでの歴史を決定したからである。この後名将軍アンチゴスはついに敗北して自殺した。そこで戦勝将軍は帝国の領土を彼らの間に分割するに至った。このようにしてアレキサンダー大帝の死後わずか22年で彼らの数人は何人になったのであろうか。5人か?それとも3人か?それとも2人か?まさに預言に示されたとおり、ちょうど4人であった。すなわち大いなる角は折れ、その代わりに四つの著しい角が生じて天の四方に向かうはずであった。その第一はマケドンおよびギリシャを領したカッサンドルである。その第二はトラキヤおよび小アジアの西方を領したリシマツクスである。その第三はフリギヤよりインドに至るアジア領を有していたセレウクスである。ちなみに歴史上名高いセレウクス王朝は彼から出たものである。その第四はエジプトおよびシーリシリヤを領したトレミーである。
 このようにして彼ら四将軍は地の四方に領土を得た。すなわちカツサンドルは西方を、リシマツクスは北部を、セレウクスは東方を、トレミーは大帝国の南部を各々領するにいたった。

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