68「四つの生き物」


 「御座のそば近くそのまわりには、四つの生き物がいたが、その前にも後にも、一面に目がついていた。第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。そして、昼も夜も、絶え間なくこう叫びつづけていた、『聖なるかな聖なるかな聖なるかな、全能者にして主なる神。昔いまし、今いまし、やがてきたるべき者。』これらの生き物が、御座にいまし、かつ、世々限りなく生きておられるかたに、栄光とほまれとを帰し、また、感謝をささげている時、二十四人の長老は、御座にいますかたのみまえにひれ伏し、世々限りなく生きておられるかたを拝み、彼らの冠を御座のまえに、投げ出して言った、『われらの主なる神よ、あなたこそは、栄光とほまれと力とを受けるにふさわしいかた。あなたは万物を造られました。御旨によって、万物は存在し、また造られたのであります。』」黙示録4:6〜11
 彼等はおのおの獅子、牛、人のような顔のかたちおよび飛ぶわしに似ていたが、これらは全知全能なる神の御性質を代表したものである。ししは百獣の王であり、権威と威光を、牛は忍耐深い動物なので、不撓不屈、犠牲、奉仕を、人の顔は万物の霊長なので、知恵、知識、および理性を、飛ぶわしは鳥類の王なので、栄光と速力の迅速な事をそれぞれ代表する。そしてこれらの力が常に地上で働くことによって、万物は神の意志にかたどられつつあるのである。古代イスラエルの12部族はエジプトの奴隷の地より約束による自由の地カナンに向かって旅をしたとき、彼らはエゼキエルおよびヨハネの幻に示されたように四団体に組織されていた。(エゼキエル1:10参照)すなわちユダ(しし)エフライム(牛)ルベン(人)ダン(わし)の旗下に宮を設け、さらにこれら四つの陣営は神の幕屋を中心に秩序整然と配列されていた。そして神は昼は雲の柱、夜は火の柱によってその臨在を示されたのであった。
 地上における神の御事業は福音の一語をもって言い表すことができる。聖書には救いの福音を解説するにあたり、キリストの働きを四方面より記述してあるが、四福音書に現れているのがそれである。すなわちこれを綿密に研究すれば、そこにはキリストのご品性の四方面を眺め得るのである。さらに証言すれば、マタイはししのようなイエスの特質、すなわち王者としての彼を描き、マルコは牛のような彼、すなわち僕となりかつ犠牲を忍ばれたキリストを描き、ルカは人なる彼を示し、ヨハネは飛ぶわしのような彼、すなわち神の子としてのキリストを最もよく啓示しているのである。
 生き物の「六つの翼」とは神の大軍をさしたものである。それらは「まわりも内側も目で満ちてい」て全てのものを見通すことが出来た。エゼキエルの幻において、目は車の輪の中にあって、顔は諸方に向いていたと記されている。この車は天群であり、驚くべき調和と編成の下に行動しつつあるものである。そしてそれは預言者にとって地上では絶対に見る事の出来ない奇観であった。しかし神の立場からすれば全ての事が秩序整然としたものであって、そこには不規則や無秩序はないのである。ケルビムはその計画および目的においては完全な一致を保っているが、その行動においては様々の相違点をもっているのである。


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