73「ヨハネの嘆き」

 なぜヨハネは泣いたのであろうか。それは天にも地にも彼に重大な関係をもつこの巻き物を開くことの出来る者がいなかったからである。彼はもし神の御計画が失敗してしまうのなら、万物はことごとく滅びることを知っていたので、彼は地上における神の僕達が巻き物に示された神秘の知識によって力づけられねばならぬ事を痛感した。そこで彼はこの事に関して非常に憂慮したが、このような時にこの全ての事は彼に啓示されたのであった。神の深い思し召しは浅はかで、軽率な者には示されない。モーセは行って「燃える柴」を見た。また預言者ダニエルは神が彼に与えられた幻を悟るために、自らへりくだってその身を悩ました。そしてヨハネもまた巻き物を開く者がいないために、人類の救いについて記された事が無益になる事を恐れていたく嘆いた。そのように今日の我等も神の黙示が我等各自に現されるよう真心より祈らねばならない。世界ははなはだしい霊的暗黒と混乱および道徳的腐敗の渦中に陥っている。我等の唯一の安全は神が我等を導かれる道を知ることにある。「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。あなたは知識を捨てたゆえに、わたしもあなたを捨てて、わたしの祭司としない」(ホセア4:6)。
 使徒ヨハネはただひたすら巻き物の内容を悟ることを熱望したが、現代の我等も果たしてそのように熱望しているであろうか。黙示録は涙をもって書かれた書であるので、また涙なくしてこれを理解することはできない。第四章の驚嘆すべき幻、巻き物の劇的提示、天使の質問およびヨハネの涙は、次の数節に記録してある大いなる救い主の最も崇高な黙示にまで我等を導きいれるものである。

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