83「赤馬にまたがる騎士」

 
 「小羊が第二の封印を解いた時、第二の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きなつるぎを与えられた。」ダニエル6:3,4

 第一、第二の象徴中まず第一に目をひく点は、両者の馬の色が全く反対である事である。第一の馬が白色である事は、その象徴に適合する時代における福音の純潔さを表すものであるが、第二の馬の赤色は、その時代には初代の純潔さを失いはじめてきたことを意味するものでなければならない。不法の隠れたものはすでにパウロの時代に胚胎していたのであるが、今やいわゆるキリスト教会はその不法の隠れたもののために、この象徴の色が示すように非常に堕落してきたのであった。誤謬が台頭しだした。世俗が侵入した。教権が政権に一致するにいたった。その結果は紛争と動乱の続出であった。この時代の風潮は、いわゆる最初のクリスチャン帝王であるコンスタンチン―彼はモーセイムによれば、紀元323年に改宗した。―の時代にいたってその極みに達したようである。
 この時代についてドクトル・ライスは次のようにしるしている。「これは教会と国家とが握手した時代、すなわち教会が世俗化した時代をさすものである。コンスタンチンは僧侶を幇助(ほうじょ)し、これを自分の権力下においた。彼は教会のために法令を制定し、またニケヤ会議を招集して、その会議において非常な威勢を示した。偶像の神殿を破壊して栄誉を担ったのは、福音ではなく、コンスタンチンの方であった。栄光は教会にではなく、国家に帰したのである。またコンスタンチンはある種の異説を禁止する法令を発布し、大いに賞賛されたが、しかしまた他のいろいろな誤謬の続出を容認し、重要な真理に逆らう事をあえてした。そのために新帝が継承するたびに、僧侶たちは争って自分の特殊な教義を信奉させようと努めるようになった。モーセイムはこの時代について『紛争、騒乱が絶え間なかった』と言っている。
 上述の状態は、この赤馬に乗った者に「人々が互に殺し合うようになるために、地上から平和を奪い取ることを許され」たというヨハネの言葉を明らかに裏書きするものといわざるをえない。実際この時代のキリスト教は王座に上って、政権をほしいままにしていたのである。

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