140「クレオパトラの遁走」


 紀元前31年9月2日ついにアクチウム市に近いアムプラキヤ湾口において開戦した。これぞ両英雄が世界を賭しての大決戦であるから無論勝敗は長引くであろうに、クレオパトラのとった行動はついに勝敗を決するに至った。すなわちクレオパトラは戦争の騒ぎに恐怖を抱き、何の危険もないのにエジプトの全艦隊を率いて故国に遁走した。あくまで彼女の色に惑溺したアントニーはこれを見るや勝利をシーザーに譲って彼女の後を追った。この時もしアントニーが女に迷うことなく、男らしく最後まで戦うとともに部下が彼に忠実であったなら、あるいは勝利を獲得したかもしれない。
 「城」すなわちローマから出るはずであったのだから、この期間の終末において西ローマの最上権が終焉を告げるか、あるいはその都府がもはや中央政府の所在地として認められなくなるほどの大変動が帝国内に起こるものと結論せざるを得ない。預言の「一時」すなわち360年は紀元前31年より計算すれば紀元330年になる。そしてこの年にコンスタンチン帝がローマの中央政府の所在地をローマ府よりコンスタンチノーブルに移した事は争うべからざる事実である。

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