139「天の聖所におけるキリストの奉仕」

 聖所で礼拝する者を測るとは何を意味するのかについてはすでに理解できたので、次に聖所を測るとは果たして何の意味なのかを調べたいと思う。およそ物を測る場合には、その測るべき物体に特別に目を注ぐことが大切である。であるから教会に与えられた「さあ立って、神の聖所と祭壇と、そこで礼拝している人々とを、測りなさい」という命令の中には、聖所についてまず特別に精査吟味しなさいとの命令が含まれていると理解すべきである。とはいえ、教会に与えられたかの測りのつえでどのようにこの事がなされるのであろうか。否、十誡だけではそれができないのである。けれどもこの使命全体を読んでみるなら、それによって我々は天上の聖所の精査吟味は、神の十誡とこれに関係のあるキリストの奉仕とによってなされるものでることを発見する。そうであるのなら、測りのつえとは十誡を包含するものであり、特に現時代に適応する大真理をもつところの特殊使命であり、教会に与えられたものであると断定することができる。つまりこの陳述により、我々の注意が天の聖所に向けられたが、それによってこの聖所に関する一大光明と真理とに接した。すなわちこの意味で我々は聖所と香壇すなわち聖所における奉仕、大いなる祭司長イエス・キリストの職と地位とを測り、そこにおいて拝する者たちをこのつえ、すなわち十誡をもって測るのである。「聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。」言い換えるのなら、今や注目は聖所の内部とそこで行われる奉仕とに向けられているのであるから、今は外なる庭は第二に回すべきであるとの意味である。この庭は異邦人に与えられたものであるから、この地上を意味するものである事は次の事柄に徴して明らかである。旧約時代に行われた幕屋とその奉仕とに徴してみる時、庭とはいけにえの殺される(その血は聖所内に携えいれられるものである)場所であるが、実体(象徴にたいする)のいけにえは同じく実体の庭においてほふられなければならないものであり、そして実際にその実態のいけにえなるキリストはユダヤカルバリーにおいて死なれたのである。このようにしてこの事実は異邦人に紹介されたのであったが、さらにヨハネは異邦人の大背教状態、すなわち法王権の全盛期間である42カ月の間聖所が蹂躙されるという状態にまで注目を向けられ、ついで真理および神の言、教会の状態に眼を注がされた。我々も次第に順序を追って過去の出来事をさかのぼるのなら、ある一つの連続的事件に注意を促されることであろう。

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