「信心の奥義」

  「 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。」

 このすばらしい価のつけられない賜物が与えられる前、天は、測ることのできない神の愛を理解させたいという強い感動を受け、人間の心の中に賜物の価値にふさわしい感謝を目覚めさせたいという気持ちにせき立てられた。キリストがご自分の命を与えて下さった者として、私達は二つのものの間で迷えるだろうか。私達は神に、私達の持っている能力のほんの一部だけを、与えようとするのだろうか。私達は神が貸して下さった能力と力のごく一部分しか返さないのだろうか。私達は、全天の指揮官であられた方が、…人類の無力を理解して、私達の人性を主の神性に結びつけることを可能にするために、人の性質をとって、この地上に来られたということを知りながら、このようなことをすることができるであろうか。
 主は、私達が、はるかにすぐれた、そして、永遠の栄光の重みを持つ天の宝の所有者になるために、貧しくなられた。堕落した人類を救うために、一つの屈辱から、他の屈辱へと、神であり、人であり、苦しまれるキリストであられる方が、すべての人間をご自分のもとに引き寄せるために十字架にかけられるまで降りてこられたのである。神のみ子は、ご自分がなさったよりも更に大いなる謙遜を示すことは、おできにならなかった。主はこれ以上低くなることのできない所まで低くなられたのである。
 これは天使たちを感動させた、すなわち信心の奥義であり、又堕落した人類を通して、この世に救いの計画に関心を起させるために伝えられるべきものである。これが、堕落した世界の救済のための神の偉大なるご計画を遂行するについて人間と協力するよう全天を感動させた奥義であって、天と、地のしるしによって男も女も主の再臨のために準備するよう導かれる。…
 教会のかしらとして、キリストは権威をもって、ご自身の自己否定と自己犠牲の模範に従うようにと、ご自分を信じていると公言するすべての人々を召しておられる。…彼らはイエス・キリストの血に染むみ旗の下に、おくれることなく集まるようにと召されている。何物も惜しむことなく、彼らは、永遠の測ることのできない目的の達成すなわち魂の救いのために、完全な献身をするべきである。(MS62,1902)

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