「苦悩がやってくる時」

 「彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くし〔た〕。」(歴代志下33:12)

 「あなたがたは、この世ではなやみがある」(ヨハネ16:33)、しかし、あなたがたはわたしにあって平安を得るであろう、とキリストは言われる。クリスチャンが悲しみや逆境、非難にあって直面する試練は、麦からもみがらを分離する神が定められた手段である。わたしたちの誇り、利己心、悪い情欲、世の楽しみに対する愛に勝利しなければならない。そのように、神はわたしたちを試み試し、わたしたちの品性にこれらの悪が存在していることを明らかにするために苦難を送られる。わたしたちは、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるために、このお方の力と恵みによって勝利しなければならない。「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである」とパウロは言っている(コリント第二4:17,18)。苦悩、十字架、誘惑、逆境、他のあらゆる試練は、わたしたちを精錬し、聖化し、天の倉にふさわしい者にするための神の職人である。(教会への証3巻115)
 あなたの苦悩の多くは、あなたを恵みの御座近くに連れてくるために、神の知恵によってあなたにもたらされる。この世は神の作業所であり、そこでわたしたちを天の宮廷のために形造られる。神は粗さとふぞろいが取り除かれ、天の建物にあるわたしたちの場所にふさわしくなるまで、わたしたちの震える心にメスを入れられる。苦悩と苦難を通してクリスチャンは清められ力づけられて、キリストが与えられた模範に従って品性を発達させるのである。(教会への証4巻143)
 自分を耐え難いほどに苦しめる苦難を有益な教訓とし、キリストにあっての高い召しという賞のしるしに向かって推し進むよう自分を訓練しよう。主が間もなく来られるという思いで自分を励まそう。この希望がわたしたちの心を勇気づけるように。(教会への証9巻287)

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