130 第10章 「キリスト再臨大運度」

 
小さな巻物であるダニエル書

 「わたしは、もうひとりの強い御使が、雲に包まれて、天から降りて来るのを見た。その頭に、にじをいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のようであった。彼は、開かれた小さな巻物を手に持っていた。そして、右足を海の上に、左足を地の上に踏みおろして。」ダニエル10:1,2

本節からしばらく中断されていた思想系統が、またまた続けられることになったが、以下本章において順次にこれの究明に当たりたいと思う。
 「ある付加的預言」―すでに学んだように第九章は第六のラッパをもって終わりとなったが、次の第七のラッパについては第11章15節に到るまで何事も記してないのである。ゆえにこの点から見て、本章すなわち第10章および第11章の一部は第6のラッパの間に挿入付加されるものである。ところで第6のラッパに直接関係のある事については第9章に記載してあるが、ヨハネはさらに第7のラッパについて記す前に紹介すべきその他の事件を示され、これを第11章15節に到るまでの間に記したのである。第10章はすなわちその預言の一つに他ならない。ここに先ずこの「ひとりの強い御使」の伝えるべき使命の時期および年代を明らかにしたいと思う。
 「小さな巻き物」―「開かれた小さな巻物を手に持っていた」とあるが、これによってこの巻き物はある期間閉ざされていたものであると推理して差し支えないと思う。そうであるなら聖書中にはたして閉ざされいる書があるのかというと、我等はダニエル書にある期間閉ざされていた書があるかというと、我々はある期間閉ざされ、封じられていた書について記されるところを発見するのである。「ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」(ダニエル12:4)。ここに言明されているようにこの書は終末の時まで封じておかれるべきものであるから、終末の時に至らならばこの書が開かれるべきであることは必然の事と言わざるを得ないのである。またこの閉じられたことが預言の中に明記されているように、その開かれる事についても、終末時代に起こるべき諸事件に関する預言中に明記していないはずはないのである。しかし聖書中ダニエル書の封じられた事を記せしものなく、本章すなわち黙示録10章をほかにしてはその書を開く事に関し説明しているところはないのである。しかもなおさらに、両者ともにその内容についての説明を見るに全く同一である。すなわちダニエルが閉じ、また封じておけと命じられた書は時に関するものであった。「いつになって終るでしょうか」と。本章すなわち黙示録第10章においても天使はその手に開いた小さな巻き物、すなわち彼の布告の根拠である小さな巻き物を持って来て、「もう時がない」と時に関する使命を伝達した。であるあから両者ともに同一の書に関し言及している事はもはや疑う余地はなく、天使が手にしたこの開かれた小さな巻き物すなわち書は、ダニエル書であるのは明らかである。

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